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ブログ記事を書く① [日昆 日常雑記]

当ブログ『日昆会長 諸記』を始めて4年11ヶ月が経ちました。

ウェブログと云うのは実質は日記なので、書けば書いた分だけ記事総数が増えるのは当たり前。
書かなければ当然記事総数も増えない。
インターネット上に公開されている物なので記事をアップロードする頻度が高ければ見に来られる方も増えるし、滞れば段々減っていく。
自分としては、沢山の方にこのブログをご覧になってもらっているのはそれだけで非常に嬉しいです。採集記事や考察記事がアップされた時はそれはもうアクセス数はフフフな事になるので冥利につきます。

しかし、今現在のブログ記事総数は500件に迫る数。
その数を客観的に見た感想としては、
結構書いてきたなぁと我ながら感心する気持ちが半分、残り半分は「俺が今初めてこのブログに訪問して読む側の人間だったら、こんなに数あったら読む気失せるわ~…」
実はあんまり記事数を増やしたくないと云う気持ちがあったりします。
内容が濃く、それでいてさっぱりした分量のブログが好きなんです。
しかし、記事を書くのをやめるとブログが『終わり』ます…それは好きじゃない!
(上手い形で終わらせられたブログならばそれは良いんですがそれはあくまで自分以外のブログの場合です)
非常に矛盾した価値観ですね。

記事数が多くなってそれでも満足して書き続けられる唯一の方法は何だろうと考えてみると、
非常に単純明快な結論が出てきます。
それは、『記事の中身を濃く充実したものにする事』
自分のブログの場合、なぜ上記の「記事数が多くなるのが嫌」になるのかと言えば、
『今日は薄味(or空っぽ)の記事です』と云う記事の無駄使いをしているからだと思うんです。
たかがブログでそこまで神経使う必要無いだろ、と言われればそれまでですが
変な言い方をすると自分もこのブログの読者なので、面白くない記事が完成すると自分自身読んでてゲンナリしますし長々といろんな事を書いた記事が出来上がると自分自身も楽しく読んでるんです。
もう完全に奇人宣言してますね。

そういう事なので今回は、
その『記事を書く』事そのものについて書いてみたいと思います
(思います、と書くのは自分でも今回の記事がちゃんとまとめ上げられるのか分からないからです)



最初に断っておきますが、
今回は記事を書くにあたって結構具体名とか出します。
否定的な意見の部分に引用する事もあるかも知れませんがお気になさらないよう…


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まず、このブログ内の記事内容の種類を大まかに分けると、
①採集記(出撃予告含む)
②採集考察
③飼育種の紹介
④飼育経過報告(産卵セット・幼虫エサ交換)
⑤飼育経過報告(羽化報告)
⑥飼育終了報告
⑦飼育法考察
⑧種・産地の考察(実験含む)
⑨カブト・クワガタ以外の虫の話
⑩人物・店・道具・本の紹介
⑪虫以外の話(昔の話・最近の話)
⑫行事の紹介(地域・仲間内)
⑬時事話題
⑭地元の話題
⑮年1回の記事(1年のまとめ・挨拶 等)

こんな感じに分けられます。
カブクワ飼育が主体のブログとしてよくみられる傾向ですが、
内容として多くなるのは④⑤です。
「今日はこんな虫をセット組みました」
「割り出してみました、幼虫〇〇頭採れた!」
「エサ交換しました、体重〇〇グラムでした」
「羽化しました、〇〇ミリだ」
虫を飼っている内で一番簡単な内容であり、『使い回し』の利く内容とも言えます。

ただし、そんな世の傾向とは裏腹に(?)自分はこの産卵セット報告やエサ交換報告を記事にするのは気が進みません。

記事全体に言える事ですが、量や質で面白くもつまらなくもなります。
その中でこの④⑤は記事としてつまらなくなる可能性が高いです。
(※自分のところでは、と注釈を付けときます)
というのも、他のブロガーのように一度の記事で何頭もの個体を紹介出来たり目を見張るような個体を紹介できる場合はそれなりに読めるものになるのですが、飼育個体が少ない自分のような場合、たった1~3個体しかも平凡な大きさのものを紹介しただけでは、これほど読む意味のない記事はありません。
平凡な個体を紹介してもそのあとに⑦の自分なりの考察が加われば記事としての充実を図れるんですが、そんな頭も回らない事の方が多いのでそうそう毎回考察込みの飼育記事なんて書けません。
(だからいつまで経っても飼育スキルが成長しないんだろうなぁ…[たらーっ(汗)]
③の飼育種の紹介は、既存の飼育種を全て紹介し尽くした現在では「初飼育種の入手」「飼育再挑戦種の入手」が主ですが、紹介の記事を最後に『続きが無いまま飼育終了して⑥のようになる』事がこのブログで多いのは、飼育報告を逐一こまめにアップするのが嫌だから内容が溜まってからまとめて記事にしようとした手前で壊滅させているからなんですね。
ブログをやっている身として、ブログネタの為だけに増種したと思われたくない考えとこれまでの失敗から、次第に増種のペースが減ってきているのが現状ですが自分としてはこれがベストと思うようになってきました。

その他の種類記事に関しては、書く事があればその度書きたいままに書いています。
今となっては産卵セット報告やエサ交換報告をするのは、よほど気合が入っている時や初飼育の虫の場合ですかね。




続いて触れるのは、①の採集記。
記事の面白みという観点で『飼育関連記事』と『採集関連記事』を比べた場合、虫と云うテーマ以外は根本的に種類が違う内容なので比べるのはナンセンスなのですが、前者は主に個人個人の飼育部屋と云う非常に限定的な舞台から作られる内容なのに対し後者は野外のフィールドで行動するので、内容にもよるんですが昆虫そのものについて以外の内容も盛り込みやすく(人同士の掛け合いやハプニング等々)、純粋な読み物としての側面も強いので読む側としては取っ付き易いと思います。
(飼育記事だと基本的に虫自体の内容にしか焦点があたりませんが、採集記事だと虫自体の内容以外にも採集に至る過程や採集マナーから派生して道徳的な内容など多角的な内容でも書く事ができる…と。 言いかえれば、虫自体の内容が薄くても他の面で内容を誤魔化す事が出来ると云う事になります)
自分のその考えが的を得ているかは分かりませんが、一個一個の記事を見てみた場合採集記事の方がアクセス数が平均的に多いです。

そう云う事なので(つまり自分も採集記事が好きなので)、自分も採集記事は出来るだけ書きたいのですが、実際のところ採集記を書くのは今の自分にとっては特に大変な作業です。
他の種類の記事は大体なら現在進行形で構成できる(その時に調べたり、文章を入力しながらでも新たな意見を生み出し書いていける)のに対して、採集記事(と昔の話)についてはその時に起こった事のみを元にして書かなければいけません。
そりゃ当り前だろうと云う話ですが、
実は結構(かなり)忘れっぽい自分にはこれが非常に疲れる作業なのです。

採集中に見たことあったことについて後から説明・考察を加えることは可能ですが、採集中には実際に無かった事をでっち上げる事は出来ません。となると、採集時にあったことを忘れてしまい結果だけの記事内容になってしまうと非常に味気ない中身になってしまいます。
頭の悪い自分としては、採集記事を書き終えるまでに、採集の行程で起こった事やその時の心境をどれだけ覚えていてそれを記事にするまでに忘れないでいておけるかが最重要なのです。
歳もまだ20代なのに年を重ねるにつれて記事を書く時間が長く長くなっています。
高校生だったブログ開始1年目の当時は今よりもずっとスラスラと文章が浮かんできたものでした…
以前は、一晩中走り回ってきた時の採集記を書いても一晩で記事をでかしたものですが
今では、夜に数時間だけ行った分の採集記ですら記事の完成に2日~3日掛かったりしますからね。
頭が固くなってきたのか集中力が切れてきたのかボケてきたのか、一行の文章を考えるのに時間がかかるようになってるんですね(死ぬんじゃねェか俺!?)

なので、今になって昔の採集記事を読んだり他の方の長い採集記事を読んでいると
「今の俺じゃァ音声記録やノートに記述でもしながらでないとちょっと無理っぽい」
と感じてしまいますね(汗)

そして、採集記の場合は、他のブログでも言える事ですが
展開に抑揚をつけたり間を作ったり、時系列をずらすなどの小細工で構成を面白くしやすいのではと考えられます。
ハイ、自分の場合はこうした技法で巧みに(?)嵩増しして薄~い採集内容を誤魔化しております。
読み物として楽しむ場合、たとえ成果が素晴らしく大物が採れたとしても、文章が淡々と展開されていくと没入感に乏しい記事になり、長い記事でなくても読むのが苦痛になります。まして、それが連載だったりするとウンザリしてしまいます。流石に、このブログの採集記ほど小細工がウザイところは他に無いと思いますが 笑

「個性を出す」と云う観点で言うと、ちょっと気を付けている点があります。それは、
なるべく表現豊かに
他の人の記事で多用されている表現に引っ張られない
と云う2点。
採集記をいくつも書いていくと、往々にして「採集地を決める」「採集を開始する」「昆虫を発見する」「狙いのものが採れる」といったあたりの内容は、展開がまあまあ似通ってしまい表現が単一化していきがちです。ここで文章表現の方法にバリエーションを持たせておかないと、どの採集の時も筆者の感情が同じように受け取られてしまうし、採集記一つ一つの価値が薄まってしまいます。採集者本人の側としては、内容にもよりますけど飼育記事と違って毎回展開や状況、そして感情はバラバラなはずで、それを上手く差別化し伝える為にも「色々な表現を駆使して」採集記の展開を彩っていきたいと思うのです。
そして、採集記を書く場合、多少なりとも他の人の採集記を読んだりもする事でしょう。そうなると、中には文章のクセで印象深い表現や多用される表現が知らぬ間に刷り込まれてしまい、自分が文章を考える時に「それら」がフッと出てきてしまう場合もあります。勿論、表現の仕方は自由ですから、どんな表現を多用しようと伝わっていれば問題は無いんです。ただ、採集記の場合、それはよくよく決定的な場面のものである事が多いので、そんな大事なシーンで他人のフンドシを借りたくないと思ってしまうのです。具体例で言えば、
・ボロボロの成虫を採った時に ⇒ 歴戦の兵(つわもの)
・苦しい状態が続いてからの大物発見 ⇒ テンションが上がった

あと、採集記を書くスタンスも色々あるものなんだけど、
自分としては一番面白くないのが、採集の途中内容をほとんど書かないでいきなり
「今日は〇〇クワガタが××頭、◆◆クワガタが××頭・・・」
と数だけ報告して画像を載せて終わりの『ほぼ結果報告のみ』のタイプ。
これはライトトラップ採集の場合が多い。確かにライトを点けて基本待つだけな採集法だとさして書く内容が無いので、ライトトラップ採集記の場合外灯回りや樹液採集・材割り採集に比べて簡素な内容になりやすい。いくらオオクワが飛んできても画像だけでは読んでいる側はあまり興奮もしないし勉強になる事もない(大概はコンクリの上に居るだけの画像だからね…)
とは言え実際、その時やった地域やライトを照射する山の地形と使用するライト機材の組み合わせや時間帯の選び方等書こうと思えば書けるんでしょうが、如何せん近年の東日本ではライトトラップ採集者が新規参入も増えてどんどん競争率が高くなり、採集記を書くにしても詳しい事を書けば書くだけ大なり小なり自分の首を絞めることに繋がるので詳細を書ける人は少ないです(皆無?)。
結果的に、ライトトラップ採集の記事ってそのものはただの「自慢」か「自虐」でしか無くなるんですよね。

そして果実トラップ記事、特に南西諸島が舞台だと青森県人の自分にとってはやや非現実感のようなものを感じられてワクワクさせられます。狙う虫によってトラップを掛けるポイントや木の高さを選んだりする点から、トラップとは言え「狙って採集できるか」のドキドキ感も読んでて感じられることもありますので詳細な内容を省かなければ非常に勉強になりますし入り込みやすいです。
その中でも、特に多くの種類が生息する奄美大島&徳之島の採集記事だと面白いんですが…

個人的に一番ベストなのは樹液採集記事で、
もし自分が読む立場になって食いつく種類を順位にして挙げるならば
Best 1 オオクワガタ
Best 2 ヒメオオクワガタ
Best 3 その他
、となるんですが
特にオオクワガタは樹液採集で採るのは難しいだけに、記事を書く人(採集者)の情熱や経験や知識がそのまま素直に文章で表されることが多く、(地域によって棲息環境に違いはあれど)北海道から鹿児島まで沖縄以外の全国に分布している虫なので「自分のいる都道府県でもこんな事が可能なのだろうか」と、採集難度が高くそれでいて身近と云う『現実と非現実の中間』で想像に更けながら読む事が出来るんです。
人気が高い虫と云うこともあって、採集記事自体には良くも悪くもいろんなエピソードが織り込まれることも多い為こってりした記事になる事も多く、他の種類の昆虫採集記事と比べても物足りなさを感じさせる事は比較的少ないのではと感じます。
あと個人的に入れてみたい(入れてほしい)事として、記事の本命であるオオクワガタ本体を発見した時の様子を写した画像(出来れば動画)を組み込みたいんですよね(笑)
オオクワ採る間際にカメラを片手にしてる余裕ってまずそんなに無いでしょうけどね(苦笑)



頭が回らなくなってきたので今回はここでひとまず終了で……
後から校正するかもしれません。

  続く

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